さつまいもの歴史
子供から大人まで、美味しく食べられるさつまいも!
ここではそんなさつまいもの歴史をお伝えいたします。
さつまいもの生まれは熱帯アメリカ。
メキシコで紀元前800年から1000年に中央のアンデス地方で作られており、15世紀の終わりに、
コロンブスがアメリカからヨーロッパに持ち帰りました。
しかし、温かい気候を好むさつまいもはあまり作られず、
アフリカ・インド・東南アジアなどの植民地に持ち込んだことがきっかけで世界中に広がったといわれています。
東南アジアへは、スペイン人やポルトガル人が持ち込み、中国へ広まったという説や、
それよりも前に熱帯アメリカからポリネシアの島々に持ち込まれたなど諸説あります。
日本に伝わったのは1600年頃。
野國總管という方が1605年に中国から沖縄に持ちかえってきたと伝えられています。
さつまいもは、鹿児島県が発祥と思っている方が多いと思いますが、沖縄県から広まったのですね。
野国さんは、野国村の農民でした。
昔は台風や干ばつ、害虫対策が整っておらず、農民が干ばつなどで苦しむのを見てきた野国さんは、
1605年に、明代中国の福健商に渡り、中国の学問を学びつつ、農村の暮らしぶりを観察しながら、
中国の農業がどういったものだったのかを学びました。
当時、中国の農業は日本のものよりずっと進んでいて、彼は中国の農業にますます興味を示していきました。
そんな中、中国で知り合った農家さんが、彼を農場に連れて行ってくれることになり、
そこで初めて出会ったのが、畑一面を覆いつくすほどのさつまいもだったのです。
そして農家さんが調理してくれたさつまいのを、一口食べた彼はその美味しさに驚きました。
干ばつに苦しむ農民のため、さつまいもを日本に持って帰る決意を固めるとともに、
ますます中国の農業の勉強に力を入れました。
当時福健省では、作物の持ち出しは禁止とされていました。
でも、沖縄では台風や、害虫の被害で、常に農民たちが苦しんでいるのが現状でした。
野国さんは、どんな危険をおかしてでも、自分の命にかえてでも、
沖縄まで持ちかえってみせると決心し、観賞用の鉢植えに芋を忍ばせ、
それを盆栽ふうにして数株をばれないように持ち帰りました。
黙って苗を持ち帰ったのがばれれば、これまで中国と沖縄との間で築いてきた関係も壊すことになってしまう。そんな緊張感の中、彼は沖縄にさつまいものつるを持ち帰ることに成功しました。すぐに栽培に着手し、これまた成功しました。
当時は、中国から来たいもという意味で「唐芋(からいも)」と呼ばれたり、中国での呼び名である「甘藷(かんしょ)」といわれたりすることもありました。
琉球の国王に、さつまいもの苗を広めるお願いをし、琉球全体にさつまいもは広まっていきました。
そして鹿児島に伝わって、更に全国に広まっていきました。
当時の薩摩、鹿児島さつまいもが渡ったのが1614年。
沖縄や鹿児島から全国に広がったさつまいも。鹿児島は昔「薩摩(さつま)」と呼ばれていたことから、さつまいもと呼ばれるようになったのが由来です。
ほしいもtomo’sが生産する紅はるか
紅はるか(べにはるか)は、 鳴門金時と同じ高系14号系の品種です。「九州121号」と「春こがね」を交配させて誕生しました。名前の由来は、食味や外観が既存品種よりも「はるか」に優れていることから名付けられました。甘味が強く、水分が多めで、蒸し芋や干し芋にすると美味しいお芋です。